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隗展の作品も少しずつだが進んでいる。
今度の作品は肩の力が抜けたのか淡々と進んでいて、絵の具の扱いと筆さばきの力が全てのような気分で描いている。
モチーフはMWSの奥氏の作ったものであり、無機質のものを固定したものであっても自分の作品として生き生きとした実在感を示せるのも示せないのも、つまりは絵の具を筆でキャンバスに塗りつける技量だと思うのだ。
二匹とも12月に捕まえたもの。
冬でも日が照って暖かくなると昆虫が姿をあらわす。
上は体長0.25センチメートルのハモグリバエの1種だろうが、去年も同じ時期に捕まえている。黒いズングリしたコバエで動きに特徴があるので去年と同じのが出てきたなと思って捕まえたらそうだった。
下のはヒメバチの1種みたいで0.8センチメートル。新顔だが去年も同じ時期に出ていたのだろう。
複眼が濃緑の金属光沢で美しいハチだ。上のも複眼間が紺色の金属光沢だし、ここのところ金属光沢か続いている。
このハチは後脚の附節がとれている。草臥れ果てた個体で体の一部が欠損しているのは、良く生き抜いてきたねご苦労さんと言いたくなるものだが、このハチのように孵化したばかりのような綺麗さでそうなのは異常な気がする。この手のものをこのごろよく見るし何か気になるところだ。
なにげに小っちゃめのハエを捕まえたが緑の複眼をしていた。
えっと言う感じである。
翅脈からするとハナバエの1種みたいだが、調べても分からずじまい。残念。体長0.6センチメートル。
写真では全て緑だが金色に変化するところもある。光の当たり方のせいだろうが、条件が厳しいのかあまり変わらない。
この美しさは生きていればこそのはかないものだ。透明で密度の高い複眼と体液とで光の干渉を起こしているのだろう。死んで体液が固まってしまうと干渉色は無くなって固有色のただの茶っぽいものになる。
スケッチから種の確定まで行かなくても見当が付くぐらいの勘所の形を捉えられるよう願っているのだが、どこが勘所なのかもなかなつかめないものだ。
作品作りのために珪藻プレパラートを覗いて、ここだと思うところを撮影するわけだがこの絵の場合は真ん中のライレラの小型版を撮りたくて撮影したものを眺めているうちに絵に描きたくなった。そして絵にしているわけだ。
こういうことはよくある。構えてやることよりも、なにげにやったことのほうが意外に心引かれるものにせまれているのだろう。
始めたばかりだが来年一月の隗展用である。
キノコバエの1種みたいだ。体長一センチメートル。
細長い体と脚で蚊みたいだが口器は針状ではない。口づけしてなにかを吸うタイプで、刺して吸い取るのではない。
体長一センチメートルはあるが、細い体なので目だたないムシだがよく見かける。
このスケッチと写真は別の個体ではあるが並べてみると考えさせられる。
頭は絵の方がわずかに傾いているせいで随分感じが違う。
小楯板は姿を整えるときに力を掛けてつぶしてしまったのだが、写真を見て潰れ具合が分かった。
この写真は生きているときにかなり近いので自然な感じがあって、それよりも状態の悪いスケッチより有利な点はあるが、この写真からスケッチしても上の絵のように体節の分かれ目の線は入れられない。できるのは色違いを表現してそれらしい固まりを感じさせるぐらいである。
やっぱり実物観察は大事だよね。となるのだ。
昆虫の神経系は脳と食道下神経節それに各節の神経節を二本の神経がつないでいるそうだ。神経節は昆虫によっては融合して数に違いがあるらしい。
神経節が各節にあったり神経が二本あるのも面白いが、体の下側を通っているので脳と食道下神経節の間を食道が通っているのはもっと興味深い。
小学館発行の「昆虫の生態図鑑」の図はバッタみたいだが大動脈も通っている。
写真はクロウリハムシのもので、脳と食道下神経節は離れているが、ハエはくっついていて小さな穴しか空いてない。その小さな穴に食道が通っているのを見たときは信じられないものを見たような気分だった。
神経系の役割分担は、脳以下の神経節は、食道下神経節は口器の働きを、胸部は翅、脚の運動を、腹部は腹部の働きをつかさどり、脳は複眼や単眼触覚や全身からの感覚の受容と各神経節の調整をして全体を統合しているようだ。連絡網は二本の神経である。
複眼に繋がる視神経は大きいし、摂食や運動を直接コントロールしている神経節は各部に散らばっているし、思考より行動を優先している神経系のようにも思えるがどうなのだろうか。
昆虫学者の研究は進み、脳の細かい役割までも追求しているようすがネットで垣間見れるが、専門家のしていることをわずかでも容易に知れるのは良い時代になったものだ。
ヒメバチの1種みたいだ。体長0.5センチメートル。
この頃捕まえた。日が照ってきたりして暖かくなると出てくる寄生バチ。
閉じ込めていたケースの底が二重になっていて、その間に潜り込んで絵のような姿で昇天、動かないので心ゆくまでスケッチ出来たわけだ。
だが検屍帳みたいなもので姿は美しくない。
美しい姿はもちろん生きているときの姿だ。だから下の写真のままに固まってくれると嬉しい限りだがそうは問屋が卸さないのだ。
ハエの口器の動きをGIFアニメでご覧に入れます。
前回のと種類は違うが似たようなハエ。
摂食しているところではなく単に出し入れをしているところだが、このあと前脚で払ったから掃除していたのかも知れない。
ハエは、後脚で翅の上を払ったり、頭をくるくる回して万遍無く頭の埃を取ったり、体の手入れは良くしている。
綺麗好きなのだ。
双翅目の口器は吸収式だが、ハエとカでは随分違う。ハエでも変化の幅は広いが、イエバエなどは絵のように普段は唇弁が出ているだけだが、いざとなるとドンとでてきて、しかも細かい動きをする。見ていて惚れ惚れさせられる見事なものである。
この収納式の口器がどうなっているか興味津々であるが、Bのような図はあるが収まり方は見つけられなかったので解剖して考えてみた。
口器を引きずり出したときに図の赤丸のところが基点になっているのが分かった。
外骨格と同様な固いものもあった。写真の黒い部分がそうだが、いろいろな形のものがある。図では赤で主なものを示した。
それぞれのパーツに筋肉がついて、赤丸を基点にして伸び縮みするわけだが、筋肉がどうついているかは見極められなかった。解剖するのもなかなか難しいのだ。
筋肉は引っ張りだけしか有効でないので、付き具合は大事なのでこれからの課題であるものの、図@ABの順で伸び縮みできるか検討したが、それほど中に食い込まなくても収まった。
一歩前進である。
このごろ細密画がないなと言われそうだが、描くのは草臥れる。歳ですべからくめんどくさい。標本画の鬼の人の言葉を読むと、そこまでやるのかと唖然とし萎えてしまうこともある。
とぼやいても仕方ないので材料集めの@は生きているときのもの。Aは死んだ奴を標本化したもの。ハエは死ぬと縮むので標本化は難しいがこの頃なんとか形になってきた。
Bはこの標本を実体で覗きながら描いたもの。棘毛は点で位置を示している。
イエバエの1種でないかと思うが、汚いハエで尻から排泄物を随分出した。@の背景にある茶色がそれだ。
クロバエとかニクバエとかいうのと同じで糞ないしは死体などに卵を産む種類なのかなとも思う。細菌類に強いので汚いのはごく自然な環境というわけだ。
ヤドリバエなどは他の生き物に寄生する生き方だから、同じハエと言っても清潔に違いないし、寄生する生き物はそれぞれ違うみたいなので寄主の大小の差もあるし、大きさの差も含めて種類がすごく多くなるような気がする。
昆虫の体に脂肪体なるものがあることに気付いた。人間で言えば肝臓にも相当するそうだ。
@はクロウリハムシの腹部の背面を剥がしたところである。
心臓が旨い具合に剥がれたがオレンジ色の粒が沢山付いていた。
Aはその詳細である。
心臓の筋肉を動かすには多くの栄養が必要だから栄養分かなと思ったが、単なる想像だった。
脂肪体の解説を読むと、これが脂肪体なのではないかと思う。
以下は『昆虫の生物学「第二版」』玉川大学出版部の抜粋。
昆虫は開放血管系を持っているので,栄養素は腸管から吸収されると直接血液中に入ることになる.そして消費器官へ運ばれてエネルギーとなりあるいは体成分に合成される.ただし一気に使ってしまうのでなく,余剰は体腔中の随所にある脂肪体に蓄積される.脂肪体は哺乳類でいえば肝臓に相当する活発な器官で,昆虫の血糖であるトレハロースの合成,グリコーゲンやタンパク質の合成と蓄積,脂質の合成・分解,各種の解毒作用や尿酸の合成などを行っている.脂肪体は代謝の中心であるばかりでなく,エネルギー源を大量に蓄積するので,幼虫期の後半,蛹期や成虫の休止期には特によく発達している.
MWS珪藻プレパラートKMR-01(沿岸)にあるライレラの小型版だと思う。
カメラはソニーNEX5なので、もっと広い範囲が写っているが前回のコッコネイスと比較するためにカットしてある。こちらの方がふた回りほど大きいだろうか。
楕円型の同じような大きさだが胞紋の大きさなど随分違うものだ。
なにか理由があるのだろう。胞紋の大きさで言えば、ドロのような細かいものが多い環境ではより小さくなり、砂ではより大きくなるとかが考えられるし、殻の頑丈さは浪の静かなところと激しいところの違いだとかはあるはずだと思うのだ。
同じプレパラートだから採集された場所は同じで説得力はないが、これだけ違っていると生活環境は微妙に違っているような気もするのだ。
MWS珪藻プレパラートKMR-01(沿岸)にあるコッコネイス(コメツブケイソウ)と思うが、随分小さくて15μm程度だ。
対物40Xでも目視では小さくて見栄えはしないが、ウェッブカメラのパソコン画面で見ると画面いっぱいにこの状態で見られる。
小さい物にも光が当たるわけだ。
@は表面と思われるところにピントを合わせたもので、Aはさらに深くピントを下げたものである。
@は表から見たところで、Aはひっくり返してみたところにあたると思う。
数えられるくらいの胞紋の珪藻で簡単な構造のようであるが周辺部は細かな細工になっているし、大きな胞紋の中も解像できていない小さな胞紋があるのだと思う。
小さくても見所はいろいろあるわけだ。
どちらも一センチメートル位のハエで、二三日前に捕まえた。
上がフンバエで、下がヤドリバエだと思うがいつまで経っても確信が持てない。
しかし、同じハエでも随分感じか違うものだ。
下のは大きい複眼で脚も細くて、いかにも精悍なハンターといった様子だ。上のもハンターには違いないだろうが、太い脚に丸い目にアゴや腹はふにゃふにゃの毛に覆われて、どこかとぼけたところも感じられる。
ハエもイロイロである。
ハチ(膜翅)目細腰亜目アシブトコバチ科のコオニアシブトコバチみたいだ。体長0.4センチメートル。
こいつの特徴はとにかく後脚が異様に太いので、小さくても見分けやすい。それでアシブトコバチだと思って捕まえたのだがそれ以上に頭が面妖な形だった。
この頭で、コオニアシブトコバチと言うらしい。角が生えているよ−でか。
しかし、よくよく見ると複眼間にまで切れ込みがある。まるで額をえぐり取ったようなものだ。
普通のアトブトコバチは複眼の大きさは変わらないが頭は複眼がやっと付いている位の大きさなので、それに較べると随分大きい。
あまりの頭でっかちになりすぎたので、容積を減らしてついでに触角の収納場所もできちゃった。という進化の道筋があるのか。?????
散らしの珪藻プレパラートは大小様々な珪藻たちが雑然とあるわけだが、形の大小で見やすさに差があるし、コントラストの高低での差もある。大きくてコントラストの高い物ほど見栄えがして楽しくなるわけだ。
とはいえ、見えにくいものを何とかして見るという楽しみもある。
画像はMWSのKMR-01(沿岸)にあるコッコネイス(コメツブケイソウ)だが、@は初め枠だけしか見えなかったが眼を凝らしていると中側の模様が見えてきて、なお凝らしていると外側にもあるのに気付いた。
へんなやつと思ったが、コントラストが低いのは厚みの無いためだろうから、Aからはがれた薄い膜ではないだろうか。しかも、単に薄いだけでなく本体の凹凸に合わせてピッタリ張り付いているようにも思える。その凹凸が模様になっているわけだ。
また、筋は見えるが胞紋は見えないのも興味深いところだ。
見えないのでなく解像してないのは確かだから、明るいところに極々微少の穴があるのだろう。Aの胞紋の中に解像されてない穴が沢山あるに違いない。
ネットでは、この種類ではなかったが、コッコネイスの電子顕微鏡写真に胞紋の中にたくさんの穴が空いているものがあったので、あっている確率は高いと思う。
オオハリアリの雄みたいだ。体長0.4センチメートル
ここのところ、なにごとも面倒くさくなってきて昆虫いじりも遠のいていたが、読書はそう面倒でもないのでページを開いていたところその上に乗ってきたものを捕まえた。これはスケッチしろという神様のお導きと思いスケッチした物だ。
肉眼ではコマユバチのように見えたが、実体で見ればしっかり腹ネ節があるのでアリに間違いはない。翅のあるのは女王か雄で働きアリと違う形が多いそうで、見つかるか不安だったがネットで調べたら幸いにもぴったりした写真があって専門家(多分)のアドバイスでオオハリアリの雄としてあった。
こいつをよくよく見るとアリという気がしない。触角はハチそのものだし、複眼も大きくて胸部もでかいが、アリは小さい眼とほっそりした胸部だ。
なぜかなと考えたが、雄の役割は女王と一緒に巣立ちして結婚飛行と交尾をすれば終わりである。働きアリのように地べたをうろうろして暗黒の巣で生活するわけではない。女王を見つける眼と自由に飛び回れる翅はどうしてもいるものだ。つまりハチの生活様式に適した体が必要だ。そう考えれば働きアリと違う形でハチ型でも不思議はない。想像をたくましくしたがあっているだろうか。あっていてもらいたいものだ。
MWS「本日の画像」でカバーガラスのすぐ下に水平に並べられて封入された珪藻プレパラートで正しく検鏡すれば顕微鏡の本来の性能を引き出せることが出ていた。きちんと見えていないのは、なんらかの過ちをしているわけだ。
その過ちの一つに撮影用アタッチメントの鏡筒長さがあった。
@はネットで入手した撮影用アタッチメントにソニーのNEX5を付けて、KMR-01(沿岸)を撮影した物だ。Bはその部分。コリメート法よさらばでわくわくして撮影したが、あれっという結果だった。
その時は売っている物に鏡筒長の長さ違いがあろうなどとは全く思わなくて、DL-TESTにあるスタウロネイスを苦心惨憺して撮影し不満ではあったが「あれこれ」に載せた。それを見たMWSさんから正しい長さを教えて頂いたのでACのように撮れるようになったわけだ。
顕微鏡の確かな知識も無く見よう見まねの検鏡が問題なのだが、「あれこれ」とMWSさんのおかげで危ないところで助かったわけだ。もう二年以上前になるが、その時の画像を引っ張り出したのだ。
真鶴に住んでいるので自然を描くには遠出する必要はないのだけれど、地元で久しくスケッチをしてこなかった。
理由はあるのだけれど、もったいない話であるし、なぜか昆虫を描こうという気にならないので、半島のお林に自転車を飛ばした。
まったくの途中であるが、このくらいの時が見栄えというか生き生き感があるように思う。これから描き進むと壊れることが多い。
そこを乗り越えなければいけないのだが、なかなか難しいものだ。
連休は隗展の仲間と写生旅行だった。
小海から東に山の中を車を飛ばして北相木の集落で写生した。
夜は酒を飲み、食事をしてからゆったりと一人ずつ作品を出して合評する。
出てくる作品はそれぞれ場所の選定から描き方に特徴がある。道路沿いの集落や、山間とはいえ農地もしっかり描いている人も居て、いずれも人の暮らしを感じさせる物ばかりで、感心させられたが、小生はただの木ばかりである。
それは悪いことだとは言えないが、次から次に出てくる作品を見ていると、わざわざ遠くまで鄙びた集落を探しにきて、人の暮らしぶりを感じそれを描かないのは罪深いような気がしてきたのであった。
コフキゾウムシの毛はどうなっているか、金属顕微鏡で見てみた。
写真は前翅の拡大で外骨格に3種類の毛がある。皮膚は黒で、いかにも厚くて頑丈そうな感じがする。これは、脚先まで黒かった。
@Aは毛ではなく鱗片であった。Bは窪みの底からでていて透明で鋭い。これは神経が組み込まれている毛状感覚子というみたいだ。
鱗片にしろ毛状感覚子にしろ全身がこの通りではない。細長くなったり尖ったり、色色変化に富んでいて複雑だ。
毛の生えている向きは前から後ろと決めつけていたが、このムシは前翅は後ろから前だった。写真と絵の向きはあっているのである。
危うく見落とすところだった。思い込みは恐ろしい。
獣(けもの)は毛物の意で全身に毛のある4足の動物だそうだが、昆虫だってなかなかの毛物である。
ゾウムシを初めて実体顕微鏡で見たときの驚きは、全身に様々な毛が生えていて、つるりとした装甲のような体表でなかったことだ。
このゾウムシはコナラシギゾウシと言うみたいだが、規則正しく満遍に生えていた。色も茶から白にかけて変化していて、それが体の色になってもいた。
ゾウムシは皆同じような毛かと言えば、そうではなく種類が違うと様々な形や色をしている。
体の色はこの毛で決まるようで、外骨格もこいつは脚など茶色であるが、全身真っ黒けでも華やかな色彩を纏っているものもいる。
そんなことが分かるのも拡大して細かく見る楽しみの一つだ。
川上尉平先生が1967年に描かれた「伊豆須崎」F6だ。
小生も夏の写生会で9年後位に同じ場所に行った。20〜30代が中心で40名以上の参加者だったと思う。昼はてんでんばらばらに散って絵を描き、夜は初日は宴会で自己紹介や歌で楽しみ、残りの二日はずらりと作品を並べて批評会をした。尉平先生も講師のお一人だった。
青春の大事な思い出で、先生の描かれたこの絵も思い入れは深くなる。
港内に舫われている白い漁船が印象的な絵だが、この船を隠して見ると、堤防と岬が並んでいるだけで奥行きが全然感じられない平凡でつまらない構図だが、漁船と赤い標識に崖下の高い浪が描かれることによって、伊豆の漁師町の佇まいが感じられる味わい深い絵になっていると思うのだ。
これは先生が頭を巡らして構成したのではない。先生は完全な現場主義で右のものを左にしたりして勝手に自然を改変するなどはもってのほかのことだったし、帰ってからの手直しも厳禁であったから、このとおりの情景に巡り会われたに違いない。
先生の絵からは自然の力強さばかりを感じ取ってきていたが、誤りだったようだ。自然と、そこに暮らす人々の生業に強い思いがあったに違いないように思えてきた。
そして、そうであればこそ、このような情景に神様が導いて下さったとも思うのだ。
新作家展は9月の第一週に東京都美術館で開催されている。
会のホームページは出品作品全てを掲載しているが、その作品撮影は小生が担当しているので、飾り付け時、ソニーNEX5にマイクロニッコール55mmf3.5をつけて撮影に追われた。
全て撮り終えて一息ついたところでレンズをズミクロン50mmf2に変えて自分の作品を撮ってみた。
ズミクロンで絵を撮るのは初めてだが、マイクロニッコールは固い感じに対してズミクロンは柔らかい感じがするような気がした。
ネットゲリラというサイトでソニーα7sにトプコールを付けて撮影した事例が載せてあった。トプコールは東京光学のレンズだが随分昔のレンズだ。
これ以外にもマウントアダプタを取り替えて、オールドレンズのあれこれを紹介していた。
顕微鏡写真は、先膜電子シャッターのソニーNEX5にNikon Fマウントアダプタを付けてBH2の鏡筒で撮影しているのだが、このサイトを見るまでNEX5でニッコールを使うことを考えつかなかった。暢気というか迂闊というか老人惚けと言うしかない。
早速マイクロニッコール55mmf2.8をつけてマクロ撮影をした。
ヤブガラシの花にアリがたかっているところである。アミメアリだった。
NEX5は撮像素子が小さいのでレンズの画角が異なってしまうが、α7sはフルサイズなのでLマウントのレンズも本来の画角で、一眼レフの使い勝手で撮影できる。古いレンズが息を吹き返す面白い時代になった物だ。
2月25日に載せたショウジョウバエの翅を金属顕微鏡で撮って深度合成した物だ。
対物レンズの周囲に3個のLED照明を置いて照明している。金属顕微鏡本来の真上からの落射照明ではこのようには写らない。LED照明のお陰でこんな絵も撮れるわけだ。
しかし、光学理論は全くお手上げで、なぜ虹色に写るのかの話はできない。綺麗だねと言うばかりである。
それはともかく、ハエの翅は平ではない結構波打っているし、棘毛がびっしりと植えられている。それも表ばかりではなく裏にもある。写真で棘毛の傍に黒丸が見えるが、それが裏側の棘毛の付け根である。
役割が気になるが、いろいろな物が付かないための防護用とか、リベットを打つように強度をあげるためとか、空気抵抗をあげて飛翔能力がたかまるとか。あれこれ考えるのは楽しいものである。
上はMWS珪藻プレパレートDL-TESTのライレラを、MWSが撮影した同種の物の間に小生の撮影した物を挟んでいる。(2012.10.25の再掲載)
撮影技量の差は置いとくとして、両方とも縦溝の両脇に彫刻風の刻みがある。
対物40倍での目視は、いまいちはっきりしないのでウェッブカメラ撮像素子でのパソコンのモニターで見ると、大きく見れて分かりやすい。
下の画像のようにモニターに現れるので見やすいわけだ。
H型の分厚い構造体の真ん中に溝つきの棒を添えて穴あき板を張ったような物だろうか。厚みの感じはうまく写せたような気がする。
ところで、この刻みは一体何であろうか。何かの役に立つ為にあるような整然とした形ではなく、偶然に割れたように見えるがどうなのであろうか。
抉られた傷のような物も見えるし、刻みも浅いのもあり深いのもあり気になるところだが、はてなである。
いままで壊れた珪藻は沢山見てきたが、全体はしっかり元の形を保っているのに内部がこんな風になっているのは初めての経験なのである。
秋の新作家展も間近に迫ってきた。
春に代表に感情が感じられないとパチンとやられてしまったが懲りないで少ない材料でF120を描いている。P50の倍以上ある大きさは、それだけでかなりインパクトがある。形は単純だが胞紋の数も増えている。
なにか質でなく物量で勝負している説明だなあと思いつつ、この文を書いているのだが、質が大事なのは言うまでもない。
言われることもないが、上手だねとか旨いねとかでは技術を誉めているのであって、質を誉めているとは思えないので嬉しくは思えないに違いない。いい絵だねとか、考えさせられるねとか言われたいものだが、さて、どんなことを言われるのか。
珪藻も5年以上描いていて、珪藻の説明も随分しているのだが、いまだに「あのミジンコ」などと珪藻そのものが浸透していないし、「・・・・・」と困ってしまう人ばかりだろうなあ。
特別展「生き物を描く」で川島逸郎氏所有の「昆虫の生態図鑑」(昭和43年初版・小学館)が展示してあって、頭と感覚のページが開いてあり、くわしい解剖図がいくつか載っていた。
これは買うべしとヤフオクで探して、幸運にも入手できた。
ハエを解剖したときに、胸の中で食道が二つに別れていたのが不思議であったが、この図鑑の解剖図で前胃と吸胃に別れているのが分かった。
写真では前胃に続く中腸がちぎれているが、この先に長く伸びている。ここ。
前胃と吸胃の説明はなかったが、吸胃は一時の保管場所だろう。ここに溜め込んでゆっくりと前胃から中腸に送り込んで消化、吸収すると言うわけだ。
でも、昆虫はこの方式が全てではない。ハチは食道は別れずに一本だけだが、中腸の手前に弁があって、その前がそ嚢と呼ばれる貯蔵場所がある。ここ。
いずれも腹部で貯蔵するのは変わりがない。なぜ方式が違うのか、ハチは巣に戻ると吐き出すそうだが、ハエは単独行動で吐き出すことはなさそうだし、吐き出すとしたらハエ方式の方が良さそうにも思えるし、またしても疑問が増えてしまったのだ。
甲虫目(鞘翅類)多食亜目(カブトムシ類)コガネムシ科カナブン。体長2.6センチメートル。
今、地球博物館で特別展「生き物を描く」が開かれている。早速行ってきた。写真撮影は許可されていたが、個人で楽しむだけの制限付きだったので、ここでは載せられないのは残念だ。
昆虫に限らず魚やエビ、蟹の海の物も多く、植物もキノコを中心としていろいろあった。絵の他に標本や文献、描画の道具なと盛りだくさんの内容で興味は尽きない。
しかし、なんといっても名人達の作品を直に見られることが一番である。
実物を識っている人が見れば、特徴を良く捉えて居るなあという作品ばかりだと思うが、小生はそこが弱いのが辛い。どうしても興味の中心が描き手の個性というか、科学的な作品にもかかわらず描いている人を思い浮かべてしまう。
名人達の作品を見たあとでは、小生のものなどますます粗ばかりが気になってしまうが見えなかった粗が見えるようになったとも言えるので、実力をつけるための試練とも言えようか。
鉢に水草を入れてメダカを飼っているが、この中は目に入らない小さなものたちでいっぱいだ。
その中で、こいつは大きい方で0.1とか0.2ミリぐらいはある多細胞動物のワムシの仲間だ。
後ろの足の先端にある趾(あしゆび)を支点にして、くるくると良く動いて採餌している。
ワムシの説明に、頭の先に輪盤があってそこに生えている繊毛を動かして餌をとるとか書いてあったが、こいつは餌に食らいついて口の中の咀嚼器でもぐもぐしているのがよく見えた。透明な体で体の仕組みはよく分からないが、内部の器官を動かすと影が出来て在ることが分かる。
上から見ると卵形だが下は平になっているのが動いているのを見るとよく分かった。図鑑などではなかなか分からないことだ。実際に観察する強みである。
MWS珪藻プレパラートKMR_01(沿岸 )にあるアクナンテスの仲間みたいだ。
豆粒というより米粒に近いウェッブカメラ撮像素子での等倍切り出し画像で@Aは中央部であるが、Aは@よりピントを下げて撮影したもの。
Bは端部であるが、お椀を置いたようにも見えるが、実は伏せたもののようである。
それで@のピントはアクナンテスの中央部のわずか上にあり表面を明瞭に見ていて開口部も黒穴に見えるのではないかと思うのだ。
そしてAのピントは内側に入り込み内側を見上げるように見ているみたいである。
透明物体を下と周囲からの光で、なおかつ高倍率で見ている画像で目視の常識は通用しない。悩んだ末の結論だが、正解は分かっている人のみ分かるである。残念だが小生には分からないのである。
それにしても、添え木を二本あてたようで面白い形をしているなと見ていたが、いくつか見た同種のものはスッキリしているので、この変な複雑さは奇形のような気がしてきた。
前回の写真が絵になったものだ。
プロジェクターなどの使用はないので比例が違ったりしているのが絵らしいとも言えるし、たいした技量じゃないのねとも言われそうだ。
大きさを合わせて構図を決めるので個別に撮影したアリ達をラフに合成したものだ。デジタルは簡単にできるので素晴らしい。
標本の整形が上手ならそのまま描けばよいのだが、へたくそなのでそうもいかない。
下書きを始めると、歩いている本当の姿は実は定かでないのがあらわになってくるのだが、どう結末が付くのかは次回のお楽しみである。
ゾウムシの行進につづいてアリの行進をA1で描いているが、そこに登場するアリ達だ。
道をうろうろしているアリは黒い大きなアリや小さい赤いのぐらいしか見分けていなかったものだが、拡大してみると形の基本は変わらなくてもいろいろ変化しているし、外骨格の模様や棘毛の大小、生え方などは随分異なる。
それでもゾウムシなどに比べると細かい変化なのかなとも思うが。
この絵では大きさの違いは分からないが、1枚にまとめるとどう見えるか、仕上がりが楽しみだ。
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2015.06.30
MWS珪藻プレパラートMZK_01(池)にあるエピテミアだ。
弓なりの形で中央に山形の模様がうかがえる特徴のある珪藻である。
下図は顕微鏡を覗きながらスケッチしたものだ。細かいところは、なかなか見切れなくてこんなものだろうと描き上げたものだ。
その後、場所は違うがビデオ観察して撮影したものもあるので比較のため並べてみた。
写真とスケッチはピント位置が少し違うので、写真では縦格子が目立たないが絵は目立つなどの差はあるが、まあまあ描けているとも言えるし、これじゃ駄目ねぇとも言われそうだし、絵を描くのは難しいものだ。
2015.06.25
甲虫目(鞘翅類)多食亜目(カブトムシ類)ホタル上科ジョウカイボン科の何か。体長1.1センチメートル。
前回はこの絵まで描くつもりで作業したが資料作りで時間切れになってたわけだ。
この絵の元は写真だ。箱に閉じ込めたものなので完全な自然ではないが疑似自然のポーズだろうか。
形はそれとして、材質の感じも大事だ。このムシは柔らかい外骨格なので、その感じがないと成功とは言えないのだか、あまり成功したとは言えないようだ。
名人の描いたホタル系の標本画をデスクトップに載せて、パソコンを開くたびに見ているが、触るとふにゃふにゃになりそうな感じで、確かにこうだよなと感心するが、ものすごい点の集合体でとてつもない時間が掛かっているようである。それくらい努力しないといけないと言うことだろうか。
2015.06.20
甲虫目(鞘翅類)多食亜目(カブトムシ類)ホタル上科ジョウカイボン科の何か。体長1.1センチメートル。
ほとんど薄茶色だが、複眼が真っ黒で丸く出っ張っていて、何となくかわいらしく、外骨格も柔らかくて華奢な感じだが、見かけの優しさと違ってするどい大アゴなので情け容赦のない肉食性だろう。
附節は左から前、中、後脚の順だ。クワガタなどとは全然違う形だが、ハムシとかゾウムシには近く、4節が幅広のブラシのようで葉っぱの表面をしっかり捕まえるのに都合良くできているように見える。
記録用の絵はそんなことを思い浮かべ、見落としの無いように正確さを心がけながら描いていくわけだ。
2015.06.15
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)クワガタ科ノコギリクワガタみたいだが大アゴの歯が図鑑と少し違うのが気になる。体長3センチメートル。
学者でないので意識して標本画のようには描いてこなかったが、ここのところ標本画もどきになっている。
現物はこんなにきちんとしていないのでスケッチをとってから、この形に再構成するわけだ。やってみるとなかなか面白い。
全体に丸まったり頭が引っ込んだり、脚は明後日の方を向いていたりと、見る角度によっては別物かと思うぐらいに変化することもある。それを、姿勢正しく正対した形に復元することになるわけだ。
本来の形をしっかり理解していないといけないわけだ。そのことの大事さに今頃気がついたと言うことのようである。
2015.06.10
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)センチコガネ科センチコガネみたい。体長1.9センチメートル。
図鑑で絵合わせすると、どう見てもセンチコガネだが、小楯板縦線の明瞭度でセンチコガネかオオセンチコガネの区別が出来る。などと書いてあるがそれらしき線が見えるような見えないようなで、昆虫の同定は素人には無理なのがわかる。
それはともかく、大きさもそこそこあるし濃い紫の金属光沢で美しいムシだが、道路上をのこのこ歩いているかひっくり返っているのを拾うのが小生のこのムシの捕獲方法なので、どうも弱ったものばかりを手に入れているようである。
そのせいかダニがまとわりついているのばかりなので、すぐにエタノールで消毒している。
名前は漢字で書くと雪隠黄金だそうである。うんこにたかるムシなのであった。
自然界の掃除屋さんで有り難いムシではあるがダニがついているのもむべなるかなである。
2015.06.05
ハエ(双翅)目短角亜目ムシヒキアブ科ハラボソムシヒキか。体長1.5センチメートル。
図鑑でハラボソムシヒキが一番それらしかったが、体長が1センチメートルとか腹部の模様が異なったりするので近いけれども違う種とも思われる。
サイクリングしたついでに道ばたで昆虫採集した。オオクロアリが目についたので捕まえたがこれだけだと寂しいと、しばらく草むらを探して見つけたのがこのムシだ。
アリは凶暴だしオオクロアリは大型なので危ないかなとも思ったが、ケースをひとつしか持っていかなかったので葉っぱを入れて2匹をひとつケースに入れた。
家に着いてみたら危惧は現実となって胸をがっちりとくわえられてしまった。離して実体で見ると胸に大穴が空いていた。
写真を撮り、死体そのままのスケッチをした。写真は後で深度合成をしたが触角などがぶれていた。死んだはずだかそうではなかったわけだ。
昆虫をいじっているとこんなことはいくらでもあるのに気付いたが、これは単に触角を動かす筋肉とその周りの体液があり、この筋肉を動かす神経が機能していれば動くのではないかと思えてきた。ヒトはなんでも哺乳類の死と同じように考えてしまうが、生き物にはそれぞれかなり異なる死に様があるわけだろう
2015.05.30
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)クワガタ科コクワガタだろう。体長2.9センチメートル。
木村資生著「生物進化を考える。」を読んでいたらというか、難しいので目を通しているというのが正確であるが、なるほどと肯けるところもある。
「過去の進化でめざましいものを二つあげると前カンブリア紀の多細胞生物の出現と、新生代とともに始まった哺乳類の適応放散である。
後者は恐竜の絶滅により、それらによって占められていた各種の生態的住所が空いてしまい、そこへ生き残った哺乳類が爆発的に放散していった。」
なるほど、人類の繁栄は恐竜の絶滅があってこそなのだ。などと感心するわけだ。
花形は交代が宿命のようだが、脇役はそうでもない。昆虫は古生代からいるし、クワガタでも、最古の化石がジュラ紀後期のものだそうだから恐竜と共に生きていたようだ。
クワガタの幼虫は腐朽した木材を餌に育つそうで、古いタイプは針葉樹を新しいタイプは広葉樹だそうだ。植物の進化に併せて進化してきたわけだ。絵に描かれているひとの幼虫は広葉樹の腐朽材をたべているのでごく最近、といっても何千万年かあるいは何百万年か前だろうが、そのころからのひとのわけだろう。
2015.05.25
MWS珪藻プレパラートASK_01(池)にあるフルツスリアだ。
珪藻観察を始めた頃EP_1でこの珪藻を対物100X,NA=1.3で見たが、条線を見ることができなかった。ビデオ観察で再挑戦して、威張れるほど明瞭ではないがなんとか見ることができた。(掲示画像では左端だけがわずかに分かるだけだが元画像では全体に見えている。)
教育用のEP_1よりグレードの高いリサーチシリーズのASK_01なので標本の良さもあるし、照明法など技術も上がっているのだろう。嬉しいことである。
条線の間隔は種類によって一定しているとのことで10個計測したのが左の表だ。大きさはグラフ化した。
同じような大きさに見えたが一割程度の大きさの違いがあるようだ。
10μmあたりの条線は32本が6個、33本が4個だった。
大きさは一割違っているのだから32〜35本ぐらいでもいいわけなので、大きさと無関係に一定していると言えるだろう。
2015.05.20
MWS珪藻プレパラートHKZ_01(渓流)にある10×20μmぐらいの珪藻だ。
初めは別のものと見ていたが上からのものと横からのものとで同じものだというのが分かるまで随分時間がかかったものだ。
光学顕微鏡で見ると小さいのと平らな面が少ないので、なにがなんだかよく分からんで終わってしまう。
しかし、ネットで調べると群体で生活するイタケイソウというのがすぐ分かり、さらにDiatoma mesodonの記載があったので、これで検索するとSEM画像がいくつか出てきた。
それで想像をたくましくして描いたのが下の図だ。
被殻の厚さはけっこうあってそこに細かい胞紋が並んでいるようだ。帯面の画像を見ると厚さは想像できる。SEM画像では上殻は梁が渡っているのがはっきり写っていて、これがあるので光学顕微鏡の像がややこしくなる。間の帯片は輪だけだが複雑な形をしていて、かつ組み合わせが特殊なので、ますます光学顕微鏡の像はわからんちんになり、これはなんなのかねえーということになるのだと思うのだ。
2015.05.15
随分前のMWSの「本日の画像」に38万画素CCDでの撮影の話が出ていて、ずっと気になっていた。
接続の仕方が正確に分からないので産業用のカメラを買うのは冒険だなとためらっていたのだが、ローコストのウエッブカメラのレンズをとったら使えないかと試してみたのが今回の画像だ。
DL_TESTのキンベラを対物レンズ40Xで見ると下図の様に見える。0.5ミリの円の中が見える範囲だ。
それをウエッブカメラで撮影すると上図のようになる。640×480画素の画像である。ピントを変えていくとパソコンのモニターにリアルタイムで映される。ほんのわずかの違いも監視できて、目視では気付かなかった胞紋が不明瞭ではあるがしっかり見分けられた。補正環付きNA=0.95のブランアボ40Xの解像力が立派に発揮できたみたいだ。
このキンベラの胞紋は凝った形をしているのがMWSの本日の画像にでていて自分には無理と諦めていたものだが、青色パワーLEDや油浸の対物100Xはこれより解像度は上がるので方法はある。なんか希望が出てきた。
MWSの「本日の画像」の信じられないような画像の数々を手引きにして珪藻プレパラートの観察を続けてきたわけだが、ビデオ観察の手法で新生面が出てきたようだ。
2015.05.10
4月6日のゴンフォネマの続きだ。
@は殻面の中央部で胞紋が見えているので、線状ではなくしっかり穴が開いているのが分かる。
Aは帯面だが尻の方が離れている。端部の被殻は薄いのかはっきり写っていない。
Bは上下の被殻の想像図だ。
表面はつるりとしているはずなので胞紋の穴しか描いていない。
被殻は上下2枚のみで中間の帯片はなし。
ピンクに塗ったところが上の被殻にすっぽりとはまるのではないかと思うのだ
ゴンフォネマは横から見ると、どうみても切れ目が見えないので、どこで別れるのか長い間の疑問点だった。
SBG-01(渓流)は特にそうだが、上下が離れていないものがたくさんあって、珪藻はバラバラになるのが普通のようなので、これも不思議だったが、これだけ重なっているとそう簡単には離れないのももっともだ。
切れ目が分からないのも端部が薄ければ重なっているのが見分けづらいのも理解できる。
以上長い間の疑問点がSBG-01(渓流)の観察で解決したようだ。しかし、何の役にも立たないようだけどとも言われそうだが、すっきりした気分で嬉しいものであるのだ。
2015.05.05
A1のケント紙に水彩で描いたゾウムシの行進だ。
写真を組み合わせて大きさの比較をしたことがあるが、それを絵にしたわけだ。
この道のプロが見るとあちこちおかしぃんじゃね。と言われそうだが、写真を元にして下書きをして実物を実体で覗きながら修正した。結構苦労しているのですよ。
2015.04.30
MWS珪藻プレパラートSBG-01(渓流)のゴンフォネマ(クサビケイソウ)だ。
このプレバラートはゴンフォネマが沢山ある。@の右と左では太さが随分違うから別種に違いないし、精査すればいろいろ入っているみたいである。種探しの楽しみもあるが立体を想像する楽しみもある。
@は真ん中だけが深い位置にあったのでピントのあったものを合成したが他はそのままである。上からや横からのもの、やや斜めからのものと並んでいるので思いは膨らむ。
AとBはピントの位置を変えたものだ。Aでは楔形だがBでは台形と随分違う。光学顕微鏡の世界は形を読み解くのは至難の業なのが分かってもらえると思う。
Cは前にも出したが@の左側にある珪藻の想像図だ。
2015.04.25
リンゴヒゲナガゾウムシと言うのかもしれない。体長0.8センチメートル。
きらりと薄緑の鱗毛が光る中型で細長いゾウムシでかわいらしい感じがしたが、ご面相はなかなかのものだ。
ゾウムシ=固い外骨格というイメージでいたが、このムシの脚は中がほんのりと透けて弱々しく見える。
鱗毛が全身にあるが、頭の後ろは黒々とした帯がある。頭を上下左右に動かしたときに胸の中に入っていくのだろう。この写真では頭を下げたところなのでしっかりと黒帯が見えているわけだ。
2015.04.20
見たくない写真だなあと言われるかもしれんが、ハナバエの1種だと思われるハエの頭部のドアップだ。
ギンバエやイエバエは現れたら殺虫スプレーの出番になる嫌われ者で汚らしいものでもあるし、実体顕微鏡で初めて見たときはギョッとしたものだったが、数多くハエを見てきたのでだんだん愛着が湧いてきている。
この写真では、もやっとした感じの肌にしか写っては居ないが、実際は微少な毛で覆われているのでビロードの肌なのである。
2015.04.15
前回は昆虫画達人の言葉を引いた訳だが、読み直すとひがみっぽし悪意もあるようにも思える。そんな気持ちはさらさらないのだが、深層心理で高望みのねたみがあって、それがかたちになったのだろうかなどとも考えたが。考えすぎだろう。
それはともかく、始めた頃のものと最近のと比較してみた。上段が2009年7月のものである。見たままでなく体と脚が重ならないようにアレンジしたものだ。
アリの脚の付け根は体の芯に近いので工夫をしないと体に当たってしまう。そこで基節の大きさや形状と腿節の付き方が前中後脚で異なるし、腹部は逆三角形にした上に腿節の微妙な曲がり方で実にうまく体に当たらなくなっている。
そこら辺のことが全く分かっていないのが上段の図だと今は判断できるので間違いなく進歩はしているが、しかし今の図がそれを表しているかと言えば怪しい。分かったとしても表現できるかは又別の問題ではある。
ひがむのやねたむのはろくでもないことだし、面白い面白いでたのしく描いていきましょう。
2015.04.10
ハネオレバエの1種のようだが、翅脈に切れ込みがなかったのが気になる。
ここのところ写真を元にした絵が続いているが、「対象への理解が、表向きをなぞるだけの情報の希薄さにとどまる。」ということが如実に現れていると反省させられるので初心に返って線描きで乾燥状態のものを写生した。
対象への理解は、形だけではなく成長課程と生態までを踏まえなくてはということだが、残念ながら大いに欠けている中で輪郭だけでも正確に捉えようとしたわけだ。
しかし、明瞭な稜線がない昆虫の体には輪郭線はない。曲がってゆく面が消失したところを線として描くわけだ。それも直線はまずなく曲線のつらなりになる。この曲線は凸になったり凹になったり曲率が変化したりする。曲がり方と変化点をきっちり押さえないといけないわけだが、なかなか見極められないものだ。つまり描けないものである。
さらに、頭胸腹、脚と正しい比例と繋がり方をして立体を感じられ、本物が目に浮かぶのであれば成功というわけだ。
昆虫画ではないが白描で描かれた鎌倉時代の随身庭騎絵巻はそんな風だったなあと思うのだ。
2015.04.05
ハエ(双翅)目短角亜目ミバエ科カボチャミバエのようだ。体長1センチメートル。
ネットを見るとよく似たのがたくさんあった。家の中で捕まえたが台所にカボチャがしばらくほったらかしてあったから、そのカボチャから出てきたのだろう。
ミバエは実蝿または果實蝿ともいうらしいが、果実に産み付けられた卵が孵えって幼虫になると実を喰ってしまうという農民にとってはとんでもないムシだそうだ。
それも、長い間いっしょにいるものはまだしも、海外から進入してきたものは天敵がいないので殖え放題になる恐ろしさももっているとか。
沖縄では台湾から侵入したらしいウリミバエが八重山から奄美大島まで広がりウリ類の本土輸出禁止になっていたそうだが、不妊化した雄を放ち根絶する方法をとり成功したそうである。
ウキィペディアによると1986年から作業開始1990年に根絶成功発表、1993年最後の八重山諸島で根絶確認し、それに要した費用は169億6400万円、この間に放飼されたハエの数は約530億7743万匹に上る。という凄い数字が並べてあったのだ。
2015.03.30
箱根入生田に県立地球博物館がある。バブルの頃の建設で費用を惜しまないで作られたものだ。多分。
原生代の地層は壁面に巨大な壁として立ち上げてある。その下にはこれもどっしりと大きい標本がカットモデルで置いてある。見事なものである。
ストロマトライトは地球の大気に酸素をもたらしたものとして有名だ。現在はわずかにオーストラリアの塩分の濃い入り江などに生き残っているだけだが、一時は世界を制覇していた生き物だそうだ。
何故廃れたかというと自分の生み出した酸素をつかって活発な活動をする生き物が登場してきたからとのことである。その生き物には動かないで栄養満点のストロマトライトはかっこうの餌になったのだそうだ。今生き残っているのは塩分が濃すぎて捕食者が生きられない場所だからだそうである。
ストロマトライトの前の生物は高熱性の嫌気性細菌が花形だったらしいが、この生き物にとっては酸素は猛毒で、ストロマトライトは主役の地位を奪いとれたそうだから、因果は回るで滅ぼしたものも又滅ぼされた訳だ。
とはいえ、絶滅したわけではない。ストロマトライトを作っていた藍藻は現在も沢山居るし、嫌気性細菌も地中深く潜り込んで驚くほどの数が居るらしい。
生き物はじつにしぶといのだそうだ。
2015.03.25
子供の頃、天竜川を遡った山奥の村で夏休みを過ごしていたことがある。
山の斜面を切り開いた小学校の校庭にポプラの巨木がポツンと立っていたが何か変な感じがした。近寄ってよく見たら毛虫が異常発生して、いたるところで葉をせっせと食べていた。見上げると上の方までいる。身の毛がよだつとはこのことだ。
しばらくして行くとポプラは丸坊主になっていた。そして地面には木を中心にして丸く帯が描かれていた。それは毛虫の死骸だった。まだわずかに生き残っている奴が樹上にも地面にもうろうろしていたが餌がないのだからまもなく死ぬのだろうと思えた。
異常発生はぞっとするものだったが、結末はもっと恐ろしいものだった。
校舎や運動場がどうなっていたかポプラはどこにあったのか、山の斜面にある学校だから広いはずはないが全く覚えていない。ただ巨木だけが記憶に残っている。田舎にポプラの木は変な気がするし、それほど大きくはないのかもしれないが記憶は絵のようなものだ。
2015.03.20
春季新作家展に出品した絵だ。従来の写生に徹する遣り方は放棄して、珪藻そのものは写生で見たままであるが配置は頭の作用である。
一応形にはなったようだが、どうも駄目そうなので代表に見てもらった。
しばらく黙って見ていられたが、小さな並びを指さして相当考えたようだね。綺麗だけれどもと続いて感情が感じられないとあっさり真っ二つに切られてしまった。
代表の批評は恐ろしいのだ。
2015.03.15
ウリハムシの上翅も調べてみた。
写真のようにキマワリに比べて随分小さい。そのせいか条線がない。
キマワリほど整然としていないが棘毛は中段の写真の点々と連なっている丸の中で上翅の全面にまんべんなくある。しかも表面だけでなく裏側にも前の方だけだが細い棘毛がしっかりとあった。
そして、うねうねとした気管が四本前後に通じている。皺があるのが気管みたいなので間違いないだろう。下段の写真ではっきり分かる。
うまく撮影できなかったので載せられないが体液の流れる隙間はしっかりあって、それも均一な隙間でなく肩の両端の所は太くて丸いのが分かった。ここのところが流入口かもしれないと思った。
脚は細長くて、この中をどうやって体液が循環するのか長い間の疑問点なのだが、上翅の場合も先端で点で繋がっているだけだから不思議なことである。
神経を何としても見ようとしたがはっきりしなかった。上翅は二つに別れているが合わせ目のところが折りたたまれていて、その中にきらりと光るものが見えるのが神経で幹線になっていると思いたいが虫のいい想像でしかない。
2015.03.10
甲虫の上翅は固い。一枚の板かと思っていたが、ばらして顕微鏡で見るとそんなことはなかった。
キマワリは表面に条線が何本もあり、そこに点々と棘毛がある。それ以外のところにもより小さい棘毛が満遍なくある。
ひっくり返すとうねうねとした管と黒丸の列が並んでいる。黒丸は条線の棘毛の位置にあるようだった。
表面の黒い皮膚に管を埋め込んだやや茶色い樹脂で裏打ちしているようにも見えた。黒丸は隙間があるのかもしれないと思った。
確認するため小さく切り取って断面を見た。
大間違いだった。黒丸はびっちり詰まっていて、管のまわりが空間だった。そして黒く厚い表皮にはきらりと光る細い線がいくつも見えた。
体液が隙間を通って循環している。そこに管は気管で酸素を供給する。きらりと光る細い線は神経で棘毛に繋がり外部の情報を捉える。
上翅もしっかり生きているんだとため息が出た。
あっていると思うが素人の勝手な想像だ。
2015.03.05
顕微鏡は照明が大事だ。珪藻を生物顕微鏡でまともに観察出来るようになったのはMWSの「本日の画像」の照明法の記事のお陰である。LED照明器具の自作法や設置位置の重要性、自作簡易暗視野法、偏斜や輪帯照明など理屈抜きの見よう見まねで何とかなってしまった。しかし、顕微鏡本の写真をずらりと並べた最近の「本日の画像」を拝見すると、これは正しい道ではない。きちんと本を読んで理論を身につけないといけないのだと反省させられたのだ。
ところで、左の写真は実体顕微鏡での小生が工夫したあれこれである。
光源はスイッチング式のドライバーで300mAに整流した1WパワーLED2個を自作した。
標本台は4cmのシャーレを裏返した隙間にアルミ缶から取り出した厚さ0.2mmのアルミ板にアルミホイールを巻いた反射板を挟み込んでいる。
細かい工夫は中のシャーレを後ろのつまみで回転できるようにしてある。標本の向きを少し変えたいことが良くあるからだ。
一番大事なのは明るく柔らかい光をどう確保するかだが、LEDの直射光は強すぎるのでトレペを拡散板にして柔らかくしている。
かなり見えるようになったが、改善点はまだまだある。たとえば高倍率ほど暗くなるので調光は必然なのだ。
2015.03.01
前回のショウジョウバエの翅脈の切れ込みがどんなものか見て頂きたいので金属顕微鏡で撮影した。
翅脈の中は体液が流れているらしく完全に切れているとも思えないので、わずかながらも膨らみがあるのではないかとよくよく見たが、前側は無いようだし後ろ側はあるようにも見えるが確信を持てるほどではなかった。正しい姿を確認するのはなかなか難しいのだ。
検体を壊さないようにするのも難しく、この写真でも棘が何本かとれた。ハエの長い棘はすぐとれるので困りものだがソケットが残るので位置と太さはとれても分かるは有り難いのだ。
2015.02.25
ショウジョウバエの1種みたいだ。体長0.4センチメートル。
目が赤くて小さくかわいらしいのがショウジョウバエだという思いがあったので、赤褐色の目だし体もやや大きいし不細工なハエだしで、これがショウジョウバエとは驚きであったが、ショウジョウバエの見分け方のサイトのいくつかのポイントと一致したので間違いはないだろう。絵ではそのうちの、@触角先端が大きく枝分かれしていること。A翅に二箇所の切れ込みがあることを示した。
昔、ギンバエを小箱に閉じ込めて見ていたとき、狭いので翅を伸ばしれなくなって折れ曲がったことがあった。翅脈は連続しているものと思っていたので撓むと思ったのが折れたので繋がっていないのでないかと疑問を持ったことがある。よく見てみると切れ込みがあったので何故そうなっているのか不思議に思ったものだ。
なにかの必要があってそのように進化したに違いがないが面白いものである。
2015.02.20
去年の12月15日に出した丹沢の地質図をカシミールを使って立体化した。カシミールはフリーのソフトだが優れものでこんな事が簡単にできてしまうのに感心してしまうのだ。
山中湖と芦ノ湖が濃い青になっているので位置はつかみやすいのではないだろうか、丹沢の主峰は塔ノ岳だから深成岩のあるところは端っこになるがボリュームはなかなかのものだなと思うのだ。
2015.02.15
前回のヒメコバチが触角の手入れをしているところだ。
ハエ目などの吸収式口器の持ち主は出来ない相談だが、甲虫やハチなどの咀嚼式口器のムシは触角の手入れは口器にくわえ込んで順送りに掃除しているのをよく見る。
ところがこのハチは触角の上下動に前脚の距を上手にあてがって掃除しているようだった。ようだったとは無責任な言い方だが小さい上に動きが速くて正確に見極められないのである。そして絵を描きながら口が小さいし触角は大きすぎるのて口にくわえられないのかなぁとかも思ってみたのだがどうなのだろうか。
もう一つ新鮮だったのはキリンのような立ち姿だったことだ。小さいものたちを見るのは大変だが面白い姿をみせてくれるのは嬉しい限りだ。
ところで今年の彩色画は和紙に水彩絵の具で描いている。初めは水張りなしだったのでスキャナで取り込むと皺の影がもろにでてしまった。やはり水張りは大事なのねということで前回からしているが、今回は水の含ませかたが足りなかったのかわずかだか皺がでてしまった。失敗をしないと上達しないようだ。
2015.02.10
これも最近捕まえたもの。トビコバチのようなシルエットだったがヒメコバチの1種みたいだ。体長0.2センチメートル。
良く走り回るハチでじっとしてくれない。それでもなんとか輪郭だけでも捉えられないかと試みた結果だ。
触角は体に比べて随分大きなものだがこれを上下に激しく振りながら走っていた。これに加え頭も高い位置だったから視覚もしっかり使っているのだろう。
昆虫の歩き方は3点支持が基本で、初めは右の前後脚なら左の中脚と組みで支持し、体を前に動かしながら残った三本の脚も前に繰り出し接地する。この繰り返しだと思うが、このハチの動きを見ていると腿節はほとんど動かさず脛節と附節ばかりを図の矢印のように動かしているようだった。
それにつま先立ちのように接地しているのも見て取れた。前回のトビコバチも同様でこのサイズのものは立てているのかもしれない。普通は図Aのように寝かせているのだ。
2015.02.05
トビコバチの1種のようだ。体長0.2センチメートル。
今年になってから玄関先のカラーの葉に来ているチビ助をいくつか捕まえた。金属光沢で一見同じようだが違うものもいたりして嬉しくなる。中脚の脛節からでている距の大きさが極端に違っていたので違う種類なのが判った。これは大きいからトビコバチと言うわけだ。
このチビ助はしきりに走り回って観察できないでイライラするが、立ち止まって体の手入れをする時はニッコリである。ユックリ観察できるし、外骨格がパーツ毎に違う動きをするとつながり具合が理解できる。あまりの自在さに驚かされるが絵にするのは難しい。
絵は普段とあまり変わらないが後脚を上げて翅の掃除をしている簡単なところを描いたのだ。
2015.01.30
3月には新作家春季展がある。
左の写真にある名前は分からないが曲がった葉巻みたいなものと、まわりの珪藻を描こう。
今回は写真の通りに描くのは止めにして構成するつもりだ。
いくつかの珪藻を選び並べかえるわけだ。
もともと寂しい画面がますます寂しくなるが、それを構成の力で乗り越えようというわけだ。
都市の絵を出した新作家展で難しいことをしようとしていると言われたことがあるが、今回も難しいことをする訳だ。どうもそうゆうのが好きらしい。無鉄砲なことだ。
2015.01.25
前回のホソチビアナバチの視点をわずかに変えた写真と記録のためのスケッチである。
文字の読み取れないのはご容赦下さい。
スケッチは乾燥標本状態のものでしている。生きているときとかなり違うものもあるが、この場合は触角とか脚とかは別にして、かなりもとの姿を残している。しっかりした外骨格といえるだろう。
スケッチに当たっては川島逸郎氏の厳しい態度が頭の隅に巣くっていて、なんとか妥協の無い線を引こうと試みるのであるがまあこんなものです。それでも進歩しているとよいのだが。
標本画だと寸法の実測は欠かせない作業だろうが、そこのところは眼力で現し切りたい欲望が科学者ではない絵描きとしてあるので、全長を測るぐらいしかやっていないのだ。
2015.01.20
ハチ(膜翅)目ジガバチ科ホソチビアナバチらしい。体長0.5センチメートル。
去年の4月に捕まえたもので、この形で写真を撮った。実体顕微鏡で上から見ているので垂直の壁に止まっているのを撮ったわけだが、見ていて精悍な姿にほれぼれした。戦う飛行機で言えば現代のジェット戦闘機でなく、宣伝上手な海軍の有名なゼロ戦でもなく、ひっそりとした旧陸軍の隼の様な感じだ。
子供の餌に昆虫狩りをするハチらしいので狩り用の体に進化しているのだろうか。翅は長く、がっちりした胸部で飛翔力は十分あるし、大きな複眼で獲物を見逃さず素早く近寄り、あっという間に尻を折り曲げて毒針を刺して麻痺させ巣に持ち帰るのだろう。
胸部に続く腹部を細くして身軽だが細長い体にしているところなどは、翅の長さにバランスした体長を確保しながらも体重を減らした優れた仕組みのような気がしてきた。
2015.01.15
MWSの年末はJシリーズの発売で大賑わいである。今回は放散虫に焦点があてられていて、発売と同時にどんどん売れていった。そして、年が明けると購買者からの画像が紹介されていたが、これまたあっと驚く動画で、放散虫が身を震わせていた。ここの1月3日の記事
GIFアニメというらしいが、作成ソフトのサイトが判ったので、DL-TESTにあるディプロネイスの仲間をピントを下げていった画像で猿真似をしたのが今回の画像だ。
ピントをほんの僅かに動かすだけでどんどん姿を変えていく、これから元の形を想像していくのも珪藻覗きの楽しみでもあるのだ。
2015.01.10
ノミバエの1種らしい。体長0.2センチメートル。名前の由来は背が丸まっているのと後脚が大きいかららしい。
御浦風物誌に蜘蛛やカイガラムシの標本画がでていた。不満足な標本を元にして描かざるをえなかったので満足の出来るものではないとのコメントがあった。実に厳しい態度である。
それに刺激を受けたのだろう、実体顕微鏡ではよく見えない細部は金属顕微鏡で観察してスケッチをとった。
このポーズ自体は写真からのものだが細かいところは写っていないのでスケッチが必要なわけだ。
ところで、このハエは少し動いては止まり、方向を変えて動いて止まるを繰り返しているが、止まったときの足の形が変化しないのに気がついた。 目にもとまらぬ脚の動きというわけだ。このハエに限らずハエの歩き回るのはくせがあると思っていたが、やっと見分けられたと嬉しかったのだ。
2015.01.05
今年の年賀状に使ったもの。オリジナルで山水を描く力はないので、例によって芥子園画伝の山石譜と元末4大家の一人呉鎮作「同庭漁隠図」の松を組み合わせて模写した。
東洋画は筆墨の世界だし遠近の表し方など今描いている絵とは大いに異なって、遠くのものはより上部に、より大きく描くので俯瞰したような位置関係だが俯瞰図ではない。
間に大きさの分かるものを小さく入れると大きな空間に忽然と変貌するし、余韻が生まれたりもする。と思う。成果のほどは別にして、この絵はそれを真似してるわけだ。
素直に伸びている様に見えた二本の呉鎮の松は模写すると、途中から脇に出た枝が本来のものに置き換わって上に伸びていて、風雪の厳しい扱いを受けているのに気がついた。また、奥の一本は上に伸びることは出来ず這うように横に伸び、しかも枯れてしまったのか草に覆われていたのも分かった。
風雪に負けて枯れてしまったものもあるが、虐げられながらもなお上に上にと伸びていたのだ。
思うに元代は蒙古族の王朝であり漢族は他民族に支配されていたのだから鬱屈したものがあってしかるべきとも言える。
呉鎮は官につかず、終生清貧と孤高の隠遁生活を送ったらしいが、頭を切られてもすぐ脇から伸ばして、すっくと伸びきるのだという強い意志で描いたのだろうかなどと思ってしまった。