あれこれ、日々に感じたことを書いていきます。

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2026.01.15

あれこれ011789

    1971(昭和46)年に国立西洋美術館で開催された「ドイツ表現派展」の図録です。表紙絵はカンディンスキー≪印章No.3〈松明行列〉≫です。カンディンスキーはロシア人ですが、ドイツに渡り表現主義画家の集まりである「青騎士」の中心人物になったそうです。ノルデと同様にナチスドイツの頽廃美術に指定されてフランスに移り住みますが、ノルデは亡命を勧められても応じなかったそうです。人の意思と運命はそれぞれですね。
 この展覧会を見たのは23歳の時でまだ絵を始めていません。毎週デッサンをして時どきの講習会や写生会で油絵を描き出すのは3年後ですね。世間の評判になった展覧会でもなく、単に絵が好きで教養を高めようと言うぐらいの気持ちで見に行ったと思いますし、強烈な印象は受けなくて、この展覧会のことはすっかり忘れていました。青二才の手に負えない作品群だったのでしょうね。図録を買っていたので紹介できるわけですが、忘れていても、実作を多数見たのは肥しにはなっているものと思いたいですね。


2026.01.10

あれこれ011788

   画像は、「エミール・ノルデ展」(1981年)の図録から初期の作品と、ナチスドイツの頽廃美術展の様子と出品されたノルデの「キリストの生涯」です。
 ノルデ(1867−1956)は日本ではあまり知られていないと思いますが、ドイツ表現派を代表する巨匠です。色彩は強烈、形は細部まで描かれることはなく正確さもありません。画家の情念や思想がこれでもかと言うほど込められていると思います。
 ブリュッセルでの「国際宗教美術展」に送られた「キリストの生涯」(1912年)は教会側の抗議で展示されなかったそうですし、ナチスドイツの迫害も受け1938年の「頽廃美術展」の中心になる展示だったそうです。支持者も反対者もありその間の争いは激しいものがあったのでしょうね。世の中の片隅にひっそりと咲いた花でなく広く咲き誇り、親しまれもし憎まれもした花だったのでしょうか。ノルデが、日本美術のすべては、趣味の品という領域に留まっていると感じたのも氏の作品を見ると納得できるような気もします。
 ですが、法隆寺を訪れたなら、金堂は見ているはずです。銅製の釈迦三尊像や消失前の壁画など堂内の荘厳な一群の仏像の織りなす空間を経験したと思います。また、秘仏の救世観音は表面に押された金箔が残り、ブロンズと間違えていますが日本で見た最も美しい美術品となったとも言っています。これらは日本人が造ったとは思わなかったのでしょうか。日本の風物がきわめて良く手入れされていて、清潔であるのが日本人の本質で深い思考はあってもわずかしかない。とでも言うのでしょうか。なにか、納得できない気持ちも残ったのも覚えています。


2026.01.05

あれこれ01177

   浦上玉堂作「煙雨糢糊」の模写です。今年の年賀状用です。
 模写をしている時、何か優しい感じを受けました。そして、李成はごつごつして厳しかったなぁと思い、エミール・ノルデの言葉で「古い,真に価値のある作品は全て中国のものだった。 ……日本独自の芸術は,重要ではない。」を思い出しました。若い時に読んで忘れられないほど印象深かったのですね。玉堂の絵は重要だと思いますが、中国ほど厳しくはないのも確かでしょう。 読んだ文章は1981年、国立西洋美術館で開催された「エミール・ノルデ展」の図録にありました。引用します。

ノルデの見た日本
 日本人と中国人は文化的民族で,日本は東洋のドイツです。ただ私は,日本民族の内に,ドイツ人のような深い内実が宿っているとは思いません。 (1913年11月13日付書簡)
 ノルデは,ニューギニア学術調査団に同行した旅行の途上,1913年(大正2年)10月から11月にかけて,日本に立寄っている。一行は,シペリア,朝鮮を経たのち,下関,門司あるいは神戸に上陸,汽車で東京へ向かい,東京およびその近郊を見物した。その後,京都,奈良を訪れ,11月初頭に,おそらく神戸で乗船して中国へ向かっている。以下は,ノルデの自伝の第3巻『世界と故郷』中に見られる日本の印象記を,一部省略して翻訳したものである。


 日本‐‐日出づる国
 我々は次に日本へ行った。一等車の我々の席の向かいに,非常に上品そうな二人の紳士が腰掛けていた。我々と同じように,きちっとしたヨーロッパ風の服を着ていた。しかし,やがて一人が座席の上に足を組んで坐り込み,もう一人も同じようにした。ある駅で彼等は,食物の入った四角い木の箱を買い,すぐに,付いていた箸で美味しそうに食べはじめた。我々もそうすることにした。それは,十二の仕切りに分れていて,珍しい物がぎっしり詰まっていた。我々には,それが何であるのか全く分らなかった。そして,どれもこれも食べられそうにもないのを見て,全く驚いてしまった。何も食べることができなかった。ただ吐き出すだけだった。空腹も好奇心も役に立たなかった。口をすぼめて,少しだけでも食べてみようと,何度も試みたのだが。唐がらし,腐った魚,いやな臭いのする油―おおよそそのような物と思えた。箱は,手を着けずに残された。
 ことほど左様に,この国の人々の欲する物,趣味,食物は異なっているのだ。
 車窓から日本の山が見えた。これまで何度となく描かれてきた富士山だ! 我々が通った路線は,ちょうどその日,天皇(Mikado)も通ることになっていた。あらゆる踏切,あらゆる空地,あらゆる駅に,小学生や警官や兵士や見物人が群がって立っていた。 ……
 寺院,宮殿,公園,赤い門,橋といったものをたくさん見た。多くの所蔵品がきちんと展示されている美術館を訪れ,また,多くの小さな高価な美術品の売立てをも見た。 ……
 我々が見物した劇場は,小さな桝目に仕切られていて,それぞれに8人から10人の人が坐り,お茶を飲んでいた。 ……劇自体は,全く厳格な様式を持つものだった。力強い英雄的な仕草,役者の顔と動きは,上品で美しかった。女の役は,男の役者が演じた。
 芸者(Geisha)のいる所へも夜に何度か行ったが,とりたてて面白いというものではなかった。おそらく一人は6歳,もう一人は12歳になる娘が,歌いながら踊った。 …… その小さな娘たちは,見ていて可愛そうになる位の子供だった。他の家で,座敷に居並んでいる娘たちの多くは,最初の子供たちよりはずっと年をとっていて,色がさめていた。金歯を見せ,けばけばしく着飾っていた。ヨーロッパに時折やってくる芸者のグループは,華奢でしとやかな娘を特に選んだものなのだろう。
 ふかふかした,クッションの利きすぎるソファーのある欧米風の豪華ホテルを,我々は数日で辞去した。本当に日本的な宿屋に泊ることにした。我々は,日本の食物を食べ,床に寝た。紙の壁に囲まれた,家具の無い部屋で,畳の上に横たわったが,とても明るく,清潔で,心地良かった。 ……
 風景を見たいと思って,我々は高地にある小さな湖を訪れた。車は,くねくね曲った,急カーヴのある狭い急坂を,尋常とは思われぬ猛スピードで登って行った。すぐ脇は急な谷であった。我々は顔を見合わせた。しばしば心臓がドキドキした。しかし運転手は,驚くほど腕が良かった。 ……
 京都の美術館で尋ね事をした時,驚いたことに,脇の扉から,ドイツの美術学者カール・ヴィトが出て来た。我々は彼を個人的には識らなかったが,彼がオストハウスの依頼で,フォルクヴァング美術館に古い美術品を購入するため,日本へ来ているということは聞いていた。 …… 遠い異国での,そのような出会いは,いつも,とても素晴らしく,心強いことである。我々は彼から,真に見るべき価値のある美しいものがどこにあるかを,教えてもらった。彼は我々に,非常に古い褐色の中国画を見せてくれた―風景画であった。それから,一匹の虎の絵。画面で巨大な虎が狂暴な眼をして歩いている様が,私には今日でもまだ見える。それから我々は彼と共に,車で法隆寺(Huriusi)へ行った。そこで我々は,ある仏像の背後に,一般の人々には見えないように置いてある,夢殿観音(Kwannon Jumedone‐‐訳註:夢殿の救世観音のことであろうか)の神聖な美しい姿を見ることができた。我々は,その苦悩をはらんだ微笑の表現,その素晴らしいブロンズの〔ママ〕体の形に感嘆した。それは,我々が日本で見た最も美しい芸術品となった。また我々は,別の寺,尼寺で,小さな愛らしい如意輪観音(Kwannon Neojerin‐‐訳註:中宮寺の菩薩半伽思惟像のことであろう)を見た。それは,顎に手を当て,片足をもう一方の膝の上に置き,世界と人間,安寧と苦悩に深く思いをめぐらし,坐っていた。その足下には,このみ仏に仕える小さな尼が坐っていて,我々外国人に慎ましく挨拶し,我々をその穏やかな,大きく黒い眼で見た。
 更に多くの美術品を我々は見た。古い,真に価値のある作品は全て中国のものだった。 ……
 日本独自の芸術は,重要ではない。素晴らしい木版画,漆やブロンズによる美しい工芸品を,日本人は作る。しかし,すべては,趣味の品という領域に留まっている。それはちょうど,彼らの居住様式や建物が,きわめて良く手入れされていて,清潔であるのと同じだ。道や村落を含めた風景全体もそうである。
 平坦な頂を持ち,すっきりした滑らかな円錐形をした富士山は,そのような日本の,最も完全な象徴と言えるだろう。

 


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